大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和50年(ワ)4029号 判決

原告

泉久枝

外三名

右四名訴訟代理人

西嶋勝彦

平野大

被告

株式会社

読売新聞社

右代表者

原四郎

右訴訟代理人

田辺恒貞

外三名

主文

一  被告は原告泉久枝に対し金一〇〇八万七一三三円、原告泉太郎及び原告泉尚人に対し各金一四八九万七一一九円、原告泉勲に対し金二〇〇万円、及び右各金員に対する昭和五〇年五月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告泉久枝、原告泉太郎及び原告泉尚人のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一亡泉啓が昭和三四年三月被告に入社し、昭和四九年八月当時被告の東京本社写真部に勤務していたところ、同月五日静岡県浜松市で発生した新幹線の架線事故を取材するため、同日午後零時頃被告の従業員である福田明が操縦する本件ヘリコプターに鈴木敏之整備士とともに塔乗して東京国際空港から浜松市に向う途中、本件ヘリコプターが同日午後零時一八分頃神奈川県秦野市の大山南南西斜面(標高1123.6メートル)に激突し、右福田、鈴木とともに死亡したこと、並びに原告久枝が亡啓の妻であり、原告太郎及び同尚人が亡啓の子であり、原告勲及び亡泉キミが亡啓の両親であることについては当事者間に争いがない。

二〈証拠〉を総合すると次の各事実が認められる。

1  本件ヘリコプターは昭和四六年三月九日川崎重工で製造され、その型式は、川崎ヒューズ三六九HS型JA九〇五七というものであつて、最大速度毎時二四五キロメートル、巡航速度毎時二二二キロメートルの性能を有するものであり、事故当時、法定時間整備および日々点検は所定の手続によつて実施され、構造上の欠陥や故障、整備の不良などはなく、良好な状態に維持されていた。

2  本件ヘリコプターの操縦士福田明は、昭和三八年一一月一九日に回転翼航空機(ヘリコプター)についての事業用操縦士の資格を取得し、昭和四七年一月一日に被告に入社していたものであるが、ヘリコプター飛行時間三五一七時間四五分、うち本件ヘリコプターと同型機については一八〇時間二〇分の飛行経験を有するものであり、本件事故以前にも東京国際空港から浜松方面に向つて飛行した経験を有しており、本件事故現場付近の地形についても知悉していた。

3  被告の編集局内には、写真による取材を担当する写真部、取材のための航空機の運行を司る機報部などがあり、機報部に属するヘリコプターは羽田の東京国際空港内にある被告の格納庫で待機しており、また右格納庫には機上からの写真撮影を行なうため写真部のカメラマンも毎日一名ずつ待機しており、本件事故当日は亡泉啓がその任にあつた。

本件事故当時は、国鉄新幹線の事故が相次いで発生していた時期であり、当日も午前一〇時五六分頃浜松駅構内で架線事故が発生したため同駅付近で列車が立往生し、線路を乗客が歩いているとの連絡が午前一一時三〇分頃被告の写真部に入り、同部においては右事故の状況を機上から写真撮影してその写真を同日の夕刊の最終版に掲載することとし、機報部にヘリコプターの出動を依頼し、これに応じて本件ヘリコプターが浜松に向うことになつた。

4  被告の夕刊最終版の締切時刻(記事や写真を被告の整理部へ提出すべき時刻)は午後一時一〇分である(この点については当事者間に争いがない。)ところ、このことは被告の写真部員や機報部員に周知されており、また写真の場合は記事よりも時間的に融通がきき易く、前記新幹線事故の写真について亡啓は午後一時一五分までに被告本社に着けばよい旨指示されていたし、被告の整理部においては午後一時二〇分までに写真が着けば夕刊最終版への掲載が可能であると考えていた。

他方、東京国際空港から浜松市までの距離は約二〇〇キロメートルであるため、本件ヘリコプターが右空港を離陸後新幹線事故の現場に到達するまでの所要時間は約五〇分ないし六〇分である(右所要時間が約五、六〇分であることについては当事者間に争いがない。)が、ポラロイドカメラで写真撮影後、原画を写真電送機にかけ被告本社に電送写真が到達するまでの所要時間は五分以内であるから、本件ヘリコプターの取材飛行には少なくとも五分程度の余裕があり、そのことは塔乗員全員が認識していた。

5  本件ヘリコプターには、前記のとおり操縦士として福田明が操縦席に乗組んだほか、鈴木敏之整備士が写真電送機の操作などを担当するため前部座席に、亡啓は写真撮影をするため後部座席に乗り組んだ。

6  本件ヘリコプターは、離陸後東京国際空港管制塔の指示に従つて西に向い、いわゆる「呑川」ルートを経由して午後零時三分頃多摩川大橋付近に達し、その後有視界飛行状態に入り、浜松市に向つた。

7  本件ヘリコプターは、同日午後零時一〇分すぎ頃日向林道付近(標高約四五〇ないし四六〇メートル)を東から西に向つて通過したのち、阿夫利神社下社(標高約六六五メートル)付近、追分茶屋(標高約九六二メートル)付近を経て、事故現場付近に至り大山南南西斜面に激突したものであるところ、以上の飛行経路は東京国際空港から浜松市に向う直線コースから相当北方にはずれているのであるから、操縦士が先を急ぐあまり無理に最短コースを飛行したものとは認められないし、鈴木整備士が本件ヘリコプターから午後零時一四分頃被告本社と最後に無線交信した際の交信内容は

鈴木 「読売東京九〇五七、感明いかが」

本社 「九〇五七、良好です。どうぞ」

鈴木 「原稿はポラで撮つたものは直ちに電送します。ナマ原はどうしますか。指示してください」

本社 「了解。写真部と打合わせます。

しばらく待つてください」

というものであつて異常事態の発生を窺わせるものは全くなく、その後午後零時一八分頃被告本社が無線で呼びかけたのに対して本件ヘリコプターからは何の応答もなかつた。

本件ヘリコプターの右激突直前の飛行状況は、現場の樹木の状況、スキッドの突きささつた角度、塔乗員らの遺体の状況などから、上昇角度5.5度、右傾き3.5度、飛行速度毎時九三ノット(一七二キロメートル)以上、機首方位三三二度(北西ないし北北西方向)と推認できる。

(なお、甲第七号証中には上昇角度につき右推認に反する部分もあるが、右は事故直前の飛行速度に照らしにわかに措信しがたい。)

8  本件事故現場最寄の気象観測点における本件事故当時における気象観測値は次のとおりであつた。

瀧ケ原

一二時〇〇分

風向き一七〇度、風速八ノット、視程四、五〇〇メートル、もや、雲量八分の四積雲二、〇〇〇フィート、雲量八分の三積雲二五、〇〇〇フィート

一三時〇〇分

風向一七〇度、風速七ノット、視程四、五〇〇メートル、もや、雲量八分の三積雲二、五〇〇フィート、雲量八分の五絹雲二五、〇〇〇フィート

厚木

一二時〇〇分

風向一九〇度、風速五ノット、視程五、〇〇〇メートル、雲量八分の六積雲三、〇〇〇フィート、雲量八分の七高積雲一五、〇〇〇フィート、煙霧、積雲状態北東に移動

一三時〇〇分

風向一九〇度、風速九ノット、視程六、〇〇〇メートル、雲量八分の二積雲二、五〇〇フィート、雲量八分の五積雲三、〇〇〇フィート、雲量八分の七高積雲一五、〇〇〇フィート。

また、本件事故当時日向林道付近では晴れて日照があつたが、阿夫利神社下社付近以上の高地では濃い霧がたちこめ、視程は右下社付近で三〇メートル、追分茶屋付近で一〇ないし一五メートル程度であつたが、現場付近で落雷があつたことは認められない。

三以上の認定事実を前提として本件事故の原因を考察するに、前記のとおり、本件ヘリコプター自体については事故原因となるような構造上の欠陥や機能上の障害、整備の不良、故障などはなかつたし、操縦士が無理なコースを選択したことも、事故直前の被告本社との交信内容から考えて機内に何らかの異常事態が発生したことも、また落雷等それ自体がヘリコプターを墜落に導くような異常な気象現象が発生したことも認められない。

右の各種要因が本件事故原因とは認められないことと、前認定の本件事故現場付近の気象状況及び本件事故直前における本件ヘリコプターの飛行状況を合わせ考えると、結局本件事故は本件ヘリコプターが日向林道を通過後進路前方にある雲を回避するため右上昇旋回中、操縦士が雲または霧に覆われた大山の山腹が進路を遮り存在するのに気づかず、そのまま大山山腹に衝突したものと推認するのが相当である。

そこで次に前記右上昇旋回をする際の福田の操縦につき過失の有無を検討するに、前掲第七号証によると本件事故現場付近の地形は概ね本件ヘリコプターの道路右側は大山の山腹が存して高く、左側が低くなっていたことが認められ、前認定のとおり福田はこのことを知悉していたものであり、しかも前記の厚木及び日向林道付近の気象状況に照らすと、日向林道に至るまでは本件ヘリコプターから地上の地形を確認することは可能であり、有視界飛行において飛行位置を確認できたものと認められるから、操縦士である福田としては前記雲を避けて飛行進路を転換するにあたつて右方に存する大山との衝突を避ける措置をとるべき注意義務があつたと解するのが相当であるところ、前認定の本件事故直前における本件ヘリコプターの上昇角度等に照らすと、本件ヘリコプターの上昇角度及び旋回の方位は到底大山との衝突を避けうるものではなく、福田には右注意義務を怠り飛行進路を誤つた過失があつたものというべきである。

なお、被告は前記右上昇旋回中に予見しえない雲及び霧の発生に遭遇したことが本件事故の原因である旨主張するところ、右雲及び霧が現実に発生したことを認めるに足りる証拠はないのみならず、福田は本件事故現場付近に至る前から大山の位置を認識していたのであるから、常にこれとの衝突を回避できるよう飛行すべき注意義務があり、仮に上昇旋回開始後に突然の雲及び霧の発生に遭遇したとしても、右方の大山山腹の存在を考慮して、たとえ当初避けようとした雲の中に進入してでも大山との衝突を回避すべく、また回避することができたものであるから、福田の過失を否定することはできない。

よつて、被告は、その従業員である福田が職務を行うにつき過失により発生させた本件事故によつて原告らが被つた損害につき、福田の使用者として損害賠償の責に任ずるものである。

四損害

1  亡啓の逸失利益

(一)  給与並びに賞与相当分

(1) 亡啓が昭和四九年四月から七月までの間四か月間に給与として九〇万五二四三円を、また賞与として昭和四八年度上期に三七万三六八〇円、同下期に四三万〇四四〇円、昭和四九年上期に五二万〇八二〇円をそれぞれ受領していることについては当事者間に争いがない。

(2) 右事実からすると、亡啓が昭和四九年度に受領すべき給与の額は別紙計算表第一〈略〉のとおり右四か月間の給与額の三倍の二七一万五七二九円と推定すべきであるし、同年度に受領すべき賞与の額は前年度上期・下期の賞与額の比率から考えて別紙計算表二〈略〉のとおり一一二万〇七四五円と推定するのが合理的であるから、亡啓が昭和四九年度に受領すべき給与及び賞与の合計額は別紙計算表三〈略〉のとおり三八三万六四七四円と推定できる。

なお、原告久枝が亡啓の同年八月分給与として三一万七一七〇円を受領したこと及びその結果同人が同年四月ないし九月までの間に受領した給与等の合計が一七四万三二三三円となることは当事者間に争いがない。

(3) 原告は亡啓の受領すべき賃金については毎年少なくとも五パーセントの賃上げがあるとして逸失利益を算出しているが、啓の生存を仮定した場合の賃上げ状況については、啓の死亡後本件口頭弁論終結時に至るまでの被告会社に勤務する亡啓と同程度の学歴・職務・技能を有する者についての昇給率等に関する資料その他右賃上げ状況を推認すべき証拠は提出されていないので、被告の自認するところの啓死亡以前における本俸の改正状況などから推認するほかはない。

まず、〈証拠〉によると、亡啓の受領していた給与は本俸とそれ以外のもの(以下諸手当という)から構成されており、昭和四九年四月から七月までの諸手当は月平均一四万七一四〇円、昭和四八年度以前のそれは多くても一か月一三万九二六〇円であることが認められ、本俸の改正状況が次のとおりであることは被告において認めるところである。

昭和四六年三月 五万二二五〇円

同年六月 五万三七〇〇円

昭和四七年三月 五万七四三〇円

同年四月 五万八九八〇円

昭和四八年三月 六万三三三〇円

同年四月 六万四九三〇円

昭和四九年三月 七万二八二〇円

同年四月 七万四四二〇円

右の本俸改正状況に基づき、また昭和四八年以前の諸手当の額は一三万九二六〇円であるとみなして(諸手当の額を高額に固定する方が確実な計算方法となる)、昭和四六年以降昭和四九年までの毎年三月から翌年三月までの給与上昇率を計算すると次のようになる。

昭和四六年三月から昭和四七年三月まで

2.70パーセント(少数点三位以下切捨)

昭和四七年三月から昭和四八年三月まで

2.99パーセント

昭和四八年三月から昭和四九年三月まで

4.68パーセント

また同様の方法により同時期の毎年四月から翌年四月までの給与上昇率は次のとおりである。

昭和四六年四月から昭和四七年四月まで

3.51パーセント

昭和四七年四月から昭和四八年四月まで

3.00パーセント

昭和四八年四月から昭和四九年四月まで

3.86パーセント

以上によると、本件の場合亡啓の受領すべき給与及び賞与の上昇率は少なくとも右の数値のうち最も低い2.70パーセントを越えるものと推定するのが妥当である。

(4) 亡啓が死亡当時満三八年の男子であり、昭和六五年三月に定年退職することについては当事者間に争いがないので、亡啓が右退職に至るまでの一五年八か月間に受領しうべかりし給与及び賞与の額を前記(3)の上昇率に基づいて算出し、年五分の割合による中間利息をホフマン方式によつて控除した右給与及び賞与の亡啓死亡時の現価は別紙計算表一四〈略〉のとおり五一六九万九八六六円となるところ、右金額のうち生活費として控除すべき割合は三〇パーセントが相当であると考えられるから、これを控除するとこの点に関する逸失利益の現価は三六一八万九九〇六円(円未満切捨)となる。

(二)  退職金相当分

亡啓が定年まで被告に勤務した場合退職時の本俸の七三倍にあたる退職金が支払われることについては当事者間に争いがなく、昭和四六年度から昭和四九年度までの被告の本俸改定状況が前記(一)(3)のとおりであることは被告の認めるところであるから、これに基づいて本俸の上昇率を算出すると次のとおりとなる。

昭和四六年三月から昭和四七年三月まで

9.91パーセント(小数点三位以下切捨、以下同じ)

昭和四六年四月から昭和四七年四月まで

12.88パーセント

昭和四七年三月から昭和四八年三月まで

10.27パーセント

昭和四七年四月から昭和四八年四月まで

10.08パーセント

昭和四八年三月から昭和四九年三月まで

14.98パーセント

昭和四八年四月から昭和四九年四月まで

14.61パーセント

前示のとおり亡啓死亡後の被告における本俸改定状況について何らの証拠もないから、本俸の上昇率は右の数値のうち最も確実な9.91パーセントと推定するのが妥当であり、これに基づいて亡啓の定年時の本俸額を算出すると三三万七五〇八円となる(7万4420×(1.0991)16=33万7508円、円未満切捨)から、これに七三を乗じて退職金額を算出し、ホフマン係数0.5555を乗じて中間利息を控除すると、亡啓のうべかりし退職金の死亡時における現価は一三六八万六四五五円となる。

(三)  相続

原告らと亡啓との身分関係については前記一のとおり当事者間に争いがないから、原告久枝、同太郎、同尚人は、右(一)、(二)の合計四九八七万六三六一円の損害賠償請求権をそれぞれ三分の一ずつ法定相続したと解するのが相当であるから、右各原告らが相続した損害賠償請求権はそれぞれ一六六二万五四五三円(円未満切捨)となる。

2  積極損害

〈証拠〉によると、原告勲を除く原告らは亡啓の墓地、墓石料一五〇万円を支払い、本件の弁護士費用は原告久枝において負担することが認められるところ、本件の事案に鑑みると相当因果関係ある弁護士費用損害額は三〇〇万円が相当であり、墓地、墓石料を含め財産上の積極損害として原告久枝は合計三五〇万円、原告太郎及び原告尚人は各金五〇万円の損害を被つたものである。

3  慰藉料

原告ら及び亡泉キミと亡啓との身分関係については前記一のとおり当事者間に争いがないし、〈証拠〉によると、亡啓には男兄弟がなく、その父母である原告勲と亡キミの老後をみとるべき地位にあつたこと、及び啓の死亡時においてその子である原告太郎は満六歳、同尚人は満三歳であつて、夫に先立たれた原告久枝は二人の子を育てるかたわら自力で生計をたてざるをえなくなつたことが認められ、他方、原告久枝が啓の死亡により団体傷害保険金五〇〇万円を受領したこと、啓の通夜、密葬、社葬の費用をすべて被告が負担したこと、及び原告太郎が昭和四九年九月から被告の設立した財団法人正力厚生会から毎月三〇〇〇円を受領していたことについては当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、右団体傷害保険の保険料は被告においてその半額を負担していたこと、及び原告太郎、同尚人が正力厚生会から毎月各七〇〇〇円ずつ贈与されていることが認められる。

以上の事情のほか本件事故の態様など諸般の事情を考慮すると、亡啓の死亡に基づく原告らの精神的苦痛に対する慰藉料は、原告久枝については五〇〇万円、同太郎、同尚人については各二〇〇万円、同勲、亡キミについては各一〇〇万円が相当である。

ところで、泉キミが啓の死亡後である昭和五二年一〇月四日に死亡したことについては当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、相続人間で協議の結果昭和五三年二月七日亡キミの被告に対する損害賠償請求権は原告勲において承継することとなつたことが認められる。

4  弁済等

(一)  原告久枝、同太郎、同尚人が被告から退職金一八〇万円、見舞金九〇〇万円、弔慰金一八八万五〇〇〇円を受領したことについては当事者間に争いがなく、右原告三名がこれらを各々四二二万八三三四円ずつ各自の損害賠償債権に充当したことは右原告らの自認するところであり、原告久枝が啓の死亡後に、労災保険の遺族年金として八四三万〇三四一円を、厚生年金の遺族年金として二三七万九六四五円を受領したことについては当事者間に争いがない。

(二)  被告は、右各遺族年金につき原告久枝が将来受取るべき金額をも損害金の算定にあたつて控除すべき旨主張するが、労働者災害補償保険法一二条の四、厚生年金保険法四〇条の解釈上、右のように解する根拠はなく被告の主張は採用できない。

(三)  原告久枝が香典一五万円と神奈川県労災死亡者弔慰金一〇万円を受領したことについては当事者間に争いがないが、香典は原告らの損害の填補を目的としない贈与と解すべきであるし、神奈川労災死亡者弔慰金は神奈川県の規則である神奈川県労働災害遺児等見舞金支給要綱に基づいて支給されたものであるところ、同要綱第一条によると、その支給目的は「労働者が業務上及び通勤途上において死亡または廃疾の状態となつた場合、その遺児等に弔慰金又は見舞金を支給し、激励慰問を行う」ところにあり、またその金額も比較的少額であることに鑑みると、これもまた原告らの損害填補を目的とするものではないと解すべきであるから、右各金額を原告らの損害額から控除することは相当でなく、被告の主張は採用できない。

(四)  原告らが労災保険による葬祭料を受領したことはこれを認めるに足る証拠はないし、仮に原告らがこれを受領していたとしても、原告らの本訴における請求中に葬祭料損害の賠償請求は含まれていないのであるから右金額を原告らの損害から控除することはできない。

5 以上のとおりであるから、原告ら被告に対して有する損害賠償請求権は、原告久枝については前記亡啓の逸失利益相続分、積極損害、慰藉料の合計額から前記四4(一)の弁済等の金額を控除した一〇〇八万七一三三円、原告太郎、尚人についてはそれぞれ前記亡啓の逸失利益相続分、積極損害、慰藉料の合計額から前記四4(一)の弁済等の金額を控除した各一四八九万七一一九円、原告勲については前記慰藉料二〇〇万円となる。

五被告は、本件事故当時亡啓と被告との間には労働協約及び就業規則に基づく雇傭契約が存したので、両者間の法律関係は全て右労働協約及び就業規則の適用、拘束を受け、被告としては右協約及び規則上の義務を負担するとともにその履行をもつて足る旨主張するが、一般に就業規則に基づく退職金、見舞金、弔慰金の定めをもつて使用者の雇傭契約上の債務不履行責任及び不法行為責任に関する損害賠償額の予定と解することはできず、またその趣旨の合意がなされたと認めるに足る証拠はないから、原告らは右退職金等を上回る損害を立証してその賠償を請求することができ、規定の退職金等の支払による全部免責をいう被告の主張は採用できない。

六よつて、原告らの本訴請求は、被告に対しそれぞれ前記各金額及びこれらに対する本件事故後であり、本件訴状送達の翌日である昭和五〇年五月二九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告久枝、同太郎、同尚人のその余の請求は失当であるからこれを棄却し、民事訴訟法八九条、九二条但書、一九六条に則り、主文のとおり判決する。

(渡辺惺 手島徹 藤山雅行)

当事者の主張〈省略〉

計算表一〜一四〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例